久々にこの本を読んでいます。
知識創造経営のプリンシプル。
この本非常にオモシロイです。僕のブログに興味がある方にはきっと刺さる本だと思いますのでぜひ読んで欲しいというのと、今回はこの本よりコミュニティとコミュニティをつなぐモノとして紹介されているバウンダリーオブジェクトの考え方をご紹介したいと思います。
そして、僕がやっているリフレクション実践研究会に対してもその考え方を使ってちょっと意味付けをしてみようと思います。
■バウンダリーオブジェクトとは
さて、では早速バウンダリーオブジェクトの紹介に入りましょう。
バウンダリーオブジェクトとは書籍の中で次のように紹介されています。
”バウンダリーオブジェクトとは、異なるコミュニティーやシステム間の境界(バウンダリー)に存在する物や言葉、シンボルなど意味し、コミュニティ同士をつなぐもの、あるいは新たにコミュニティーを形成するものとして生み出されるものをいう。例えば、通常はコミュニケーションが上手くできていない部門間が、共通に理解できるようなキーワードやコンセプト、シンボルなど生み出すことで、横断的につながったコミュニティーが形成される、と言った場合、これらの媒介となるコンセプトなどをバウンダリーオブジェクトと呼ぶ。〜知識創造経営のプリンシプルより〜
なるほど!でも言葉だけだとちょっとわかりにくい。
図にしてもうちょっとわかりやすくすると、次の図の感じ。
なるほど、な感じですね。
コミュニティとコミュニティを繋ぐものがバウンダリーオブジェクト。
ちょっと古いですが、オバマ大統領が言っていた「Yes!We can!」というのはアメリカを繋ぐバウンダリーオブジェクトだったといえるのではないでしょうか。あの言葉の力で随分とアメリカが盛り上がっていたことを思い出します。
身近な例だと、皆さんがお勤めの会社の企業理念なんかも複数の部署(コミュニティ)を繋ぐものとしてのバウンダリーオブジェクトといえると思います。バウンダリーオブジェクトとしての企業理念が浸透している会社は強いですからね。
■バウンダリーオブジェクトとしてのリフレクション実践研究会
で、ブログでバウンダリーオブジェクトを取り上げたのは、この考え方が僕がやっているリフレクション実践研究会が目指すところだからなんです。
図の「コミュニティ」というのを「企業」と変えて見てみましょう。(ついでにバウンダリーオブジェクトもリフレクション実践研究会と変更)
これはまさにイメージ通りです。リフレクション実践研究会はリフレクションというキーワードを媒介的なものにして企業と企業をつなぐ場でありたいんですよね。
実践研究会での活動を通していろんな知識が生成される。
そのアウトプットを参加者が各企業に持ち帰る。
そして各企業での実践をまた持ち寄り、新たな知識を生成する。
その知識(アウトプット)こそがバウンダリーオブジェクトであり、企業間を繋ぐ「モノ」となり得ると考えています。そういう意味では、リフレクション実践研究会はただの楽しいコミュニティではなくて、アウトプットをちゃんと生み出すコミュニティである必要があります。そのアウトプットこそがバウンダリーオブジェクトであり、企業と企業をつなぐからです。(バウンダリーオブジェクトがないと、企業と企業は繋がらない)
これからの企業は、こういう会社外の場に飛び出ていく人がどれくらい自社内にいるかってのが結構大事になってくると思います。そういう人達が外のコミュニティとつながり、バウンダリーオブジェクトを自社内にもたらし外と繋がることができるからです。
ということで、最後に本よりもう一文抜粋。
ものづくりの製造業モデルから社会イノベーションの展開を測ろうとすれば、 経営学もそれに応じて、 チームや部門組織、 企業の枠組みの戦略論や組織のを越えて行かざるを得ない。(中略)そのためにシステムの境界をまたぐバウンダリーオブジェクトのデザインが大きなテーマとなるのである。〜知識創造経営のプリンシプルより〜
ここでいう「システムの境界をまたぐバウンダリーオブジェクト」というのが、まさに実践研究会(と、そこのアウトプット)なのでしょう。
バウンダリーオブジェクト大事。
※追記と蛇足:ちょっと難しくなりますが、バウンダリーオブジェクトは社会構成主義的な文脈で生み出される主体的な知であるともいえるかもしれません。その知は客観的に正しいというものではなく、主観的に正しいというもので十分なのかも。コミュニティ間で主体的に生成するものがバウンダリーオブジェクト。