経験の自己目的性について

今回は「経験の自己目的性」について簡単にメモ。

「経験」っていわゆる「投資」のイメージが強いと思うんですよね。

ここで言う投資とは将来のための投資のことで、例えば「今この瞬間、私はとてもきつくて、何も楽しくないけど、将来の○○のために頑張るんだ!」というものは投資のための経験ということができると思います。

確かに、経験にはそう言う側面もあって、それは経験の「投資性」と呼ぶことができそうです。

一方、経験には「自己目的性」と呼ばれる側面もあります。

経験それ自体が楽しいもので、その楽しさを経験することが目的である、なんて考え方なんですが、この経験の「自己目的性」を蔑ろにしていることって、結構多いのではないかと感じています。

例えば、毎日の学校や勉強、仕事が楽しくない。。というとき。その経験は、将来のご飯のため、明日の生活のためであって、それ自体が目的であるわけでない、ということでしたらそれは経験の投資性だけが重要視されていて、自己目的性が蔑ろにされているサインです。

日々の経験が楽しいものであること、その経験ができて本当に良かったと心から思えること、そういう経験も狙っていくことが大事なのではないでしょうか。

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もちろん、経験の自己目的性だけを強調するのはバランス悪いのだと思います。

極論したら毎日浪費して遊びまくっているというのがそれですものね。

投資性のない経験だけを重ねていたら、明日の我が身が危ないわけです。

これは困りました。

投資性と自己目的性、どっちをとればよいのでしょうか。





と、わざとらしく書いてみましたが、答えはシンプルです、両方共とればいいのです。

楽しくて、かつ、それが将来の投資にもなる経験を戦略的に狙ってとりにいくのです。

どちらか片方を選ぶのではなく、両方とればいいのです。

  • 今、その経験は自己目的性のある経験でしょうか?
  • 今、その経験は自分の将来のためになる投資性のある経験でしょうか?

そんな問いが役にたつかもしれません。

どちらか片方だけを重要視していたのなら、両方を取るためにはどうすればいいか、考えてみるのもよいリフレクションになるのではないでしょうか。