コルトハーヘンの「大文字の理論」「小文字の理論」とは

最近、リフレクションを改めて学び直し、再構成するイベントを始めました。

先日、第一回のイベントを終えたのですが、第一回の内容は教育文脈でのリフレクションで有名な、コルトハーヘン先生のリフレクション論についてでした。お題になった本はこちら、「リフレクション入門」

本イベントは、なんと本の共同著者である山辺先生をお招きして、リフレクションについてお伺いするというなんとも贅沢なイベントでした。物凄く濃密な2時間だったので、そのエッセンスを少しでも記事にしておこうとブログに書いておく次第です。イベント全部書くとかなり盛りだくさんになるので、イベントの内容は別記事(近日公開予定)にまかせて、本ブログでは、その一部も一部なんですが「コルトハーヘンの大文字の理論・小文字の理論」について思ったことがあったので、メモしておこうと思います。(山辺先生、参加の皆様、イベントでは本当にありがとうございました!)

コルトハーヘンの大文字の理論、小文字の理論とは

さて、まずはコルトハーヘンの大文字の理論、小文字の理論について説明してみましょう。

「大文字の理論」「小文字の理論」とは、簡単にいうと「教科書の理論」と「自分の経験から見つけた持論」のことだと解釈しています。教科書に書かれている客観的でまとめられた理論を大文字の理論というのに対し、自分の経験や主観から「こういうことじゃないのか?」と思った「持論」を小文字の理論というんですね。

この「大文字の理論」と「小文字の理論」という分け方は非常に面白いですよね。コルトハーヘンは、人が学ぶには大文字・小文字、両方の理論が必要だというわけです。

例えば、私達は学校でも職場でも、授業や研修でいろいろ「理論」を学んでいるわけですが、その多くは「大文字の理論」です。大文字の理論は習うことは簡単かもしれませんが、いざそれを実践で使ってみようとすると中々上手く行かないことがわかります。リーダーシップの研修を受けたら、誰もがすぐに上手なリーダーシップを発揮できるとは限りませんよね。

そこには、何が足りないのか。

その足りないピースというのが、例えば小文字の理論なんだと思います。小文字の理論とは、先も説明していますが、経験や主観を使いながら自分の頭で考え腹落ちさせる理論です。巷では、このような理論を「持論」というと思ってます。コルトハーヘンの小文字の理論とは、もっとわかりやすい言葉でいうと「持論」のようなものではないかということであり、人が学びを深めるには、大文字の理論と共に、小文字の理論(自分なりの解釈、持論)も併せて必要である、というのが今のところの解釈です。

これは、先のリーダーシップの話でも納得するところがあります。例えば、研修後にリーダーシップが上手になる人がいるとしたら、その人は研修を通して小文字の理論も同時に深めた人だと思います。ただ、リーダーシップの理論(大文字の理論)を学ぶだけではなく、その大文字の理論を参考に、自分の経験・主観と照らし合わせながら小文字の理論(持論)も構築する。自分自身でそれに「なるほど、そういうことか!!」と腹落ちして始めて、リーダーシップを自分の中で根付かせ深めて学ぶことができたということができるのではないでしょうか。

なお、コルトハーヘンは大文字・小文字の理論に加えて、思考における3つのレベルを「ゲシュタルト」「スキーマ」「理論」と3つのレベルに分けて考えています。

ざっくり説明すると、3つのレベルはどれだけ意識⇔無意識にあるか、ということであり、一番無意識側に近いレベルがゲシュタルト、そしてスキーマになって、一番意識側に近いものが理論レベル、といいうことです。

今回のゲストである山辺先生は、リフレクション入門の中で次のように述べています。

「理論レベル」でばかり思考していては、重要な瞬時の判断や行動ができなくなってしまいます。「スキーマ・レベル」だけでは、持論にしがみついた状態となり、その持論が改良される余地がありません。また、「ゲシュタルト・レベル」だけでは行き当たりばったりになって成長が見込めないことは、言うまでもありません。(中略)こうしてリフレクションを介して無意識のレベルから理論のレベルまでを何度も往還することで、経験に結びついたより精度の高い知識を構築していくことができるのです。(リフレクション入門・P22 一部筆者修正)

まさにその通りだと思います。僕の中では、大文字の理論は理論レベル、小文字理論はスキーマレベル、ゲシュタルトは直感的な行動、というイメージです。理論だけでもダメ、持論だけでもダメ、直感的な行動だけでもダメ、それらをリフレクションを通してバランス良く行き来することで、私達はより自己の中に学びを深め、日常に応用することができるようになるのでしょう。

経験や実践ファーストでも良い?

ここまでで、大文字の理論から小文字の理論、そして自分の直感的な行動まで、全ての段階を行ったり来たりすることで、私達の学びは深まっていくことがわかりました。ただ、ここで気になるのは「いろんな段階があるけど、始めるのはどこから始めればいいの?」ということではないでしょうか。

客観的なお勉強である理論レベルから始めるのか、もっと直感的なゲシュタルトレベルの行動から始めるのか。

必ずどこから始めなきゃいけない!という正解はないと思うのですが、コルトハーヘンはどちらかというとゲシュタルトレベルの行動から始めたらいいんじゃない?と言っているように感じます。というのは、また別の機会にあらためて書きますが、コルトハーヘンはALACTモデルという考え方も提唱していて、理想的なプロセスとしては1)Action(行為)、2)Looking Back on the Action(行為の振り返り)、3)Awareness of Essential Aspects(本質的な諸相への気づき)、4)Creating Alternative Methods of Action(行為の選択肢の拡大)、5)Trial試行)ということを言っているからです。(ALACTモデルはこれらの頭文字です)

つまり、最初は行為(Action)だ!ということをコルトハーヘンは言っているわけで、それはどちらかというとゲシュタルトレベルに近いものなんじゃないか?というのが今のところの僕の解釈ですし、実際に自分の人生を振り返ってみても、まず行動・経験、そこからそれを振り返って、気づきが生まれる、そういう流れのほうが多いのではないかと思います。

・・・ということで、今回はコルトハーヘンの大文字の理論、小文字の理論について簡単にまとめてみました。山辺先生はリフレクション入門の中で、「コルトハーヘンのリフレクションの方法論の原則をあえて一言で表すとすれば、「頭でっかちにならないこと」である」と表現しています(リフレクション入門 P13)。大文字の理論、理論レベルの思考に振り回されず、しっかりと自分の直感、経験に根ざした小文字の理論もバランスよく織り交ぜていくのが良いのだろうと思う次第です。