その考え、学習性無力感じゃない?:学習してチャレンジをしたくなくなる構造

学習性無力感って言葉があります。

WEBこちらのコトバンクさんでは人事労務用語辞典の説明として次のように学習性無力感を説明しています。

「学習性無力感」とは、米国の心理学者マーティン・セリグマンが1967年に発表した概念で、抵抗することも回避することも困難なストレスに長期間さらされ続けると、そうした不快な状況下から逃れようとする自発的な行動すら起こらなくなる現象をいいます。セリグマンたちは犬を用いた実験によって、「自分が何をしても状況は変わらない」という思い=無力感が体験から学習されるものであることを発見しました。「学習性絶望感」や「学習性無気力」とも呼ばれ、一種の抑うつ状態や学業不振にいたるメカニズムの一つとしても注目されています。

まさに学習してしまったが故に、無力になってしまった、という学習性無力感ですが、これ、多くの会社でみられるんじゃないでしょうか。

仕事のあるあるだと思いますが、「いやーうちの会社では無理だよ。自分的にはやってみたいけど、きっと現場から反対の声がね。。。」という話になったことは皆さん経験あると思います。

これなんかまさに学習性無力感でして、きっとその方は会社で新しい施策、チャレンジをしようと頑張ってみたのに全く上手くいかなくて「自分が何をしても状況は変わらない」と思い知った経験があるのかもしれません。そしてもしかしたら、担当者にそう思わせている現場の方も、同じように過去の経験から学んで学習性無力感に陥っているのかもしれません。

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話は似ているのですが、別の場所では、年を取るとチャレンジしなくなるよねーってことを話してました。

若いときはチャレンジしてても、歳を重ねてくるとチャレンジに対する気軽さってなくなるよね、というのが話の内容でしたが、そこにも学習性無力感の影響があるかもしれません。今まで散々チャレンジしてきたけど、上手くいかなかった経験の方が多ければ、人は学習して「もうチャレンジせんぞ」となるのもある意味しょうがない話なのかもしれません。

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ただ、学習性無力感ってその逆もあると思ってまして、学習性有力感ってのもあるのではと思っています。

チャレンジして上手くいった結果「オレ、すごいじゃん!やれば上手くいくのね、世の中は!」という構造も世にはあるわけであって、それを学習性有力感ということもできると思うのです。(一般的には「自己肯定感」という言葉ですね)

つまり、学習して無力感を感じることができるなら、学習して有力感を感じることができるわけです。

その分かれ道は、チャンジで失敗したのか、成功したのか、どっちの意味合いで体験をとるか、です。

成功体験を上塗りしていけば、学習性無力感も「あれ、やったら思った以上にできるぞ?」という学習性有力感に変わっていくのかもしれません。

なので、もし自分が「いやー、それ無理でしょ」と思ったときは、一つ立ち止まって考えてみるといいかもしれません。

「それ、学習性無力感じゃない?」と。

そうだったら、ちょっとチャレンジしてみて、その無力感を有力感に変えてみるのもよいかもですね。