「問い」ってなんでしょうか。
ある方から「問い」についての質問を受けたので、ちょっと考えたくなってまとめてみました。
2015/04/27の段階の、ナカシマが考える問いとは何なのか?に対する考察です。
■そもそも「問い」とは何なのか?
まずはいつもの様に、ゼロベースで考えましょう。
問いってなんのために考えるんでしょうか?
問いってどんな機能をもったFunction(役割)なんでしょうか?
今のところの僕の考える「問いのFunction」は2つあります。
(1)求める関係性を見出す
(2)思索をする領域を決める
今日は(1)の求める関係性を見出す、について書いてみましょう。
■求める関係性を見出す
求める関係性を見出す、とはどういうことでしょうか。
そもそも、問いが持つ一番のFunction(役割)って、答えを出すこと、だと思います。
何か問題があって、その答えなるものが欲しくて、問いって存在すると思います。
では、その問いで欲しい「答え」とは何でしょうか。
場合によるかもしれませんが、問いの結果欲しいものはあるものに対する「認識」です。
「うーん、これなんだろうな?」という疑問に対して、「あ、それはそういうことだったのか!」とわかる。
これが「あることに対する認識」を獲得したということができる瞬間ですし、問いに対する「答え」を手に入れた瞬間です。
つまり、そこに存在する関係式としては、
(問いに対する)答え=認識の獲得
なんです。
ちなみに、認識の獲得=関係性の獲得なんですが、それはこっちの記事に詳しく書いていますが、世の中はすべて関係性で成り立っている、という前提があります。
箸は「二本の棒で食べ物を取って口に運ぶ物」という関係が、人間と二本の棒の間に成り立っているので、箸として存在しうるのです。
もしその関係がなかったら、箸は箸ではありません。ただの二本の棒です。なので、箸を箸と認知するには、箸との関係性を把握する必要があるのであって、そうなると認知する=関係を把握する、ということになるのでは?と僕は考えています。
まとめると、
問いとは、ある疑問に答えること
→答えとは、あることに対する認識を獲得すること
→認識を獲得するとは、関係性を把握すること
→問いとは、関係性を把握すること
って感じでしょうか。(表現など適当ですが)
ということで、問いとはナンゾや?という問いに対する考察その1でした。
次は、(2)思索をする領域を決める、ことについて書いてみます。